阿吽2 人生五十年 粟谷菊生

昔、商店には錠のかかる銭箱があって、毎日の上りを入れておき、それが商売の資金として活用されてきたといわれる。

 考えてみると、芸の道も同様だ。ぼくたちが若い頃から一生懸命稽古を続けてきた、その日銭の貯金があるおかげで、年をとった今日でも能が舞えるのかと思う。

 その銭箱の中身には、自分の体験のほかに、先輩の芸に学んだ預金も、たくさんはいっている。なかには他流の芸に学んだものもあるが、その蓄積のおかげで、七十四歳の今日も能が舞えるのだろう。

 ところが近ごろ、郵便貯金の利率が低くなってきた。百万円に対しての○・三%は、利息も甚だ僅かなものだから、昔の銭箱だけでは、なかなか間に合わなくなってきた。年をとってもなお、毎日稽古に励み、日銭が減らないように勤めなければならないのではないか。

 昔は、十七歳で道成寺を披いたという人もあったけれど、それは「人生五十年」の時代のこと。金さん銀さんの居られる長寿時代の今日では、披きが高年齢になるのは、当然のことだろう。

 先年、八十人ほどの弟子を集めて、宮島で浴衣会を催したことがあった。その謡い、舞う人々の中に、九十歳以上の人が四人もいたのには驚かされた。

 考えてみると、古来稀なりの古稀が七十歳、不惑が四十歳とは、とんでもない話だ。今や百歳がざらにある世の中だから、百二十歳位が古稀にふさわしいのではないか。ぼくは七十四歳でも、未だに迷っているのだから、不惑は八十歳かな。

 ところで、ぼくの考える人生五十年とは、自分の年から数えて、上の二十五年、下の二十五年の人たちといっしょに能を楽しみ、その影響を受け、あるいは下の人たちにそれを及ぼしながら、緻密な能を作り上げていくことかと思うが、悲しいことには、自分が年をとるにつれて、上の二十五年が、だんだん薄れていくのはさびしいことだ。最近、下の二十五年の人たちに、やさしく扱われるのに気づいてきたが、同情されるようになったらおしまいだ。適当なお邪魔虫になって頑張りたいと思う。

 それにつけても、人間、口を動かすことが長寿の秘訣だという人があるが、年をとって会社を退職して、俳句や盆栽を楽しむのもいいが、昔から「おしゃべりにモーロクなし」の諺もある。口を動かす謡いに打ちこむのも、長寿の世の中にふさわしい健康法の秘訣かもしれない。せいぜい長生きして、謡の妙味を楽しんでいただきたいと思う。

 

 

 

 

koko awaya