阿吽15 『野宮』での心の作業 粟谷明生

能楽師を志し、それを生業とするならば、一年に一番は心体ともに駆使するような大曲に挑み、つい緩む己自身にねじを巻くように鍛え上げる機会を自ら求めなければと思うようになりました。秋の粟谷能の会(平成十四年十月十三日)の『野宮』はまさにそういう試練の曲で、私にとっては大きな一番となったのです。

 『野宮』は源氏物語を題材にし、もの寂しい晩秋の嵯峨野を舞台に、光源氏を愛した六条御息所の狂おしいまでの恋心と諦念を描いています。源氏物語「賢木の巻」や「葵の巻」を中心に、源氏と御息所の関係や背景をある程度理解したうえでないと、能『野宮』を観るのは苦しいはずです。これは観る方だけでなく、我々演ずる方にも言えることで、『野宮』という曲の位の高さであるとも思われます。

 『野宮』の構成は、前場で賢木の巻を基に晩秋の野宮に源氏への想いを語る御息所、後場は車争いの場面を再現して舞台には登場しない対葵上との世界を創り出し、源氏の来訪を回想しての序之舞、破之舞を舞い、再び車に乗って火宅を出たであろうかと終わります。 

 今回の演能を振り返り思うままに書き記してみます。

 シテの面は本来「小面」とありますが、複雑な御息所像を思うと、小面では限界があり、理知的で少しヒステリックなもので勤めたいと思い、お許しを得てやや柔らかい表情の「増」を使用いたしました。

 前シテは次第の囃子で登場します。流儀の謡本には里女とありますが、ここは確実に御息所の霊の意識です。ゆったりと囃す次第にゆっくり執心を引きずりながらの登場ですが、ワキの「女性一人忽然と来り給ふ」の言葉通り、この女性は霊界から一瞬のうちに嵯峨野に舞い降りてくる、この世のものでない不思議さと存在感を漂わせ、運びにもゆっくりとした想いと、忽然として現れるスピード感が同居していなくてはいけないと思います。単に鈍重な物理的歩行にとどまらないが心得と聞かされています。

 そして作品の主題となる次第の謡、ここの謡に緊張と不安がふくらみます。何度と稽古を重ねても、本番でどのような声が出るかは本人も判らない未知なもの、曲の主題を謡う大事な瞬間であるから尚更そうなるのです。「花に慣れ来し野宮の・・・秋より後はいかならん」は、秋を飽きに掛けて源氏に飽きられ捨てられた淋しい御息所の心情を謡います。ここをどのように表現出来るか。次第はシテが作品をいかに把握出来ているかを試されるところで、集中度の高さが要求され、演者には一番怖いところです。

 忽然と現れた御息所の気位の高さはワキとの問答の中に隠されています。能の多くの場合、執心に悩む霊は、僧に成仏を願うため現れますが、御息所の場合は、長月七日は源氏との最後の契りを結んだ大切な日、宮を清め御神事をするのだから関係のない人は僧でもさしさわりがある、「とくとく帰り給へとよ」と強く訴えます。他にはみられない手法で御息所のプライドの高さが自ずと表されています。

 私は前場で次の三ヶ所が好きですが、それは謡と型の融合するすばらしい見せ場でもあるからです。一つは初同の「今も火焼屋のかすかなる、光はわが思い内にある、色や外に見えつらん、あらさびし宮所、あらさびしこの宮所」です。火焼屋から漏れる光が源氏にも見え、また自分の魂にも見えるのでしょうか。その光は遠くに消えていくかと思うと、不意に自らの胸にすっと入りこみ、体をめぐり、女性そのものをほてらせます。目付柱先をじっくりと見、正面に直し、とくと一足引き左に廻るという簡素な型付の中にも、謡い込まれるものはエロチシズムにあふれています。「あらさびしこの宮所」とは、ほてる肉体を持つ己の悲しさ。寂しいのは嵯峨野のうら悲しい景色だけではない、己の心が、肉体が寂しいのだという心の叫びが美しい詞章に織り込まれているとは父からの教えです。

 二つ目は、クセの上羽後です。『野宮』のクセは観世流では下居(したにいる)ですが、喜多流では床几にかけます。クセの「つらきものには・・・」と秋の景色を謡い始め、上羽後「身は浮き草の寄る辺なき心の水に誘われて・・・」と、シテはおもむろに床几から立ち、自然に動き始めるてしまう心持ちの型どころとなります。床几にかける意は、御息所の位の高さを表しているとも言われますが、私はこのふと立ち上がる風情を見せるためと思え、てたまらなく好きなのです。「伊勢まで誰か思わんの・・・」とじっと遠くを見、距離感を出しながら歩みだす姿、「多気の都路に赴きし心こそ恨みなりけれ」とシオリ下居る型どころは、伊勢に下る御息所を描く絶頂だと感じています。

 最後は中入り前の地謡の「黒木の鳥居の二柱に・・・」の謡いです。シテは鳥居を見込み佇んでいるかと思うや、その姿は光のように消え魂だけが残る風情。この最後のところで、囃子方も地謡も気をかけ囃し謡う心得ですが良いところでも有り、また、叉もっとも難しいところだと思います。三番目物で中入り前がこのように強くかかるのも御息所の性格がなせる珍しい手法ではないでしょうか。

 アイ語りは和泉流の野村与十郎さんが勤めてくださいました。本来の語りは車争いのことにはふれないようですが、近年野村家では、前場でふれない賀茂の車争いの話と、御息所が生き霊になった話を入れ、野宮に源氏が訪れた後、鈴鹿川の歌を詠み交わしたという話に続けています。車争いの段が入った事が、後の場面に続く橋渡しになり、わかりやすく良い語りであると思います。

 後シテは車に乗った様子で登場し一声を静かに謡います。車争いの場面を語り、序之舞、破之舞と続きます。ここは情景描写であり、舞でありと、動いての表現なので、前シテのように動きの少ない中に感情表現をしなければならない難しさと違って、取り組みやすさは感じます。

 車争いの後、「身の程ぞ思い知られたる・・・」と舞台を二まわりしますが、これは妄執の闇から逃れられない輪廻の世界を表しているのでしょうか。「身はなお牛の小車の」で左手を高くつき上げ肩に乗せる場面は、牛の角がせり上がってくる真似であり牛車を引く型と言われていますが、昔、後藤得三先生が「あの左手は光源氏、男性そのもので、あれが御息所の肩に重くのし掛かる。そこがわからなければ・・・」とおっしゃったことが甦ります。

 序之舞は「昔に帰る花の袖」「月にと返す気色かな」と謡い始まります。美貌も地位もあった東宮妃のころ、あるいは初めて源氏との逢瀬があったころ、そして野宮での最後のあの時を回想し、月夜に舞を舞おうという情趣でしょう。森田流の伝書には「序之舞とは謡では表現出来ない所作を舞に感情移入して一曲を盛り上げる」と、舞が楽劇の原点であると書かれています。このことは『野宮』などをはじめとした三番目物の序之舞のほとんどに通じ、役者がその役になるのではなく、つまり六条御息所としてではない別な世界、演者自身の思いを持ち舞うということなのです言われることであるということ。あのゆったりとした時の流れと四つに組み、速く動きたくてたまらない自分を、じっと我慢させ苛める苦痛そのものが舞としての表現の真髄だということが、今回少しわかったような気がしました。

 では破之舞とはどのようなものか。流儀には、太鼓ものでは『羽衣』、大小物では流儀にはこの『野宮』『松風』『二人祇王』の三曲しかありません。この破之舞とは「本音の舞、二の舞ともいって、主人公の具象的な表現の本音である」と伝書にあります。「野の宮の夜すがら、なつかしや」という御息所の本音の心、その最後の夜がなつかしいという心の興奮や高ぶりを舞います。通常の舞は、歌舞音曲の形式にのっとって、ひたすら舞う抽象的な動きや型ですが、破之舞には心がある、本音の舞であるということです。この二つの舞の表現法を区別し意識することがことは『野宮』を演ずるにあたって絶対外せない大事な心得だと思うのです。

 最後はこの曲に限っての火宅留めです。「火宅の門をや、出でぬらん、火宅の門」と謡う観世流、「火宅」で留める喜多流。御息所は火宅というこの世の苦しみの世界を出られるでしょうか、いやいやとても出られない……。成仏できなくともよい、源氏とのあの日の思い出を大事に抱いていたいという強い意志があるように私には思えます。「火宅……」と留めた後の静まり返った舞台の緊張感の持続、これがこの曲の終演です。

 今回の演能にあたり雑誌観世での野村四郎氏の対談『野宮』が私の演能に大きな力を与えて下さいました。「『野宮』は作品が役者を選んでくるように思います。下手すると作品の方が拒否反応を起こす」「人物像だけをぎゅっと絞り込んでいったからといって『野宮』にはならない、御息所になるわけではない」「御息所という高貴で複雑な女性の情念の世界や諸々の性格を、演者が身体の中に思い宿らせて演技という形にしていく」、つまり心の中での作業が行われないと全く歯が立たないと語っておられます。これは心に残るメッセージで、私の心に衝撃が走りました。

 私にとって『野宮』という大曲は心と体を切り刻むような思い出の曲になったのです。

 粟谷能の会の三番立ての真ん中を、父や能夫がゆずり押し出してくれる形で挑むことが

できた、そのうれしさと重圧をひしひしと感じています。

(平成十四年十一月 記)

koko awaya