阿吽1 創刊にあたって

粟谷能の会通信として『阿吽』を創刊することになりました。発刊に至るまでの経過や、今後どのようなものにして行きたいかといったことについて、粟谷能夫と粟谷明生が話しあったことを記しておきたいと思います。

 今後多くの方々のご寄稿やご意見をいただき、より幅広く、充実した自分たちの小冊子にしていきたいと思います。

 どうかご愛読下さい。

──自分たちの主張をそのつど皆様に何かのかたちで伝えていきたいという事がまずあります。能は演じることで充分であると考えてきたのが今までの世代の考えだったとしたら、父も含めて多くの先輩から受け継ぎ教えられたことを言葉とし、残していく必要もあると思うのです。勿論秘する部分というものがおのずからあるにしても、基本的には言葉にし、問いかけていきたいのです。

 自分たちが「研究公演」を始めたのも、「粟谷能の会」で能を定期的に演じることは出来るだろうが、自分たち2人で研鑽し、試行錯誤する場を持ちたいということが大きな理由としてあり、そのなかで自分の殻を打ち破り、新たな自分を見い出していきたいと思ったのです。

──親の世代は、自分たちの演能活動をやりたいと思ってもなかなか出来る時代ではなかった。それを父(益二郎)の追善という形で新太郎、菊生をはじめ四人の兄弟で「粟谷兄弟能」を始めた。その後次の世代にも場を与えるということで「粟谷能の会」と名を改めて今日まで来た。そういう意味で「粟谷能の会」は、先の世代である益二郎、新太郎、菊生から受け継ぎ、背負っているものがあり、それを我々も受け継ぎ、自分の内で燃焼させ良い舞台を創っていかなければならない。一方「研究公演」は自分の可能性を見いだし増幅していく場だと思う。どちらが大事といわれると困るが、その両方が必要だし、ともに充実させていきたい。

──自分たちも先人が切り拓いた環境を生かしていくべきだが、出来た轍にただ乗っかっていくだけでは自分たちの十分な成果となり得ないという思いがあって「研究公演」を始めました。

 『様々な試みを研究し、私たちのより良い演能を』という主張のなかで、単に自分たちがシテをするというだけではなく、第三回では自分たちの地謡を創るという課題で『求塚』の地を謡ったり、第四回では二人で緊密な一つの舞台を作るということで『蝉丸』を、また第五回では先人のやって来られたことの偉大さを知るという意味で、『天鼓』、『白是界』を選曲してみました。

──そして第六回、第七回と二年にわたって、これまでの「研究公演」で幅広く積み上げてきた能への取り組みを、具体的な成果として実らせるという意味で、『松風』『小原御幸』という大きな課題の曲、いわゆる大曲に挑むことにしたのです。

──これからの自分たちを創り上げていくために、大きな能をそれぞれで見定めていこうということです。これまでは新太郎、菊生を中心にしてやってきたが、これからは自分たちも充分に手応えのある仕事をしていかなければならない。と同時に番組作りにも配慮をしバランスのとれた、しかも観客を引き付けることのできる編成をしていく必要がある。そうした考えの一環のなかで、「粟谷能の会」として広範な場で演能活動をし、多くの人々に私たちの能を見て欲しいという思いが、具体的には「粟谷能の会大阪公演」というかたちで実を結んだと思います。

──舞台上のことで言えば全てにこまやかな神経が行きわたった、そんな舞台を目指して行き、またこれまで先達から受けて来たものを次の世代に伝え、触発して行きたいのです。

──こうした「粟谷能の会」・「研究公演」の番組のなかに自分たちの課題や主張があるわけだが、さらにそれを言葉として書き公表していく開かれた場を持ち、自分たちも様々な事を考えていきたいということで、この『阿吽』を創刊することにしました。今回は菊生の『伯母捨を舞って』を掲載しましたが、今後多方面の方々の原稿も掲載し、刺激を受けていきたいと思います。また自分たちの自己形成を振り返り、これからの指針とする意味で、二人にとっての一種の『年来稽古条々』も連載していくつもりです。

koko awaya