我流19 『白頭』

明生 前回は『石橋』について話しましたが、青年期の披きで重要なものといえば、流儀では『小鍛冶』の白頭でしょうか。私が白頭を披いたのは、粟谷兄弟能が粟谷能の会に移行するとき、その第一回目でした。昭和五十六年、二十六歳ですね。能夫さんも披きは二十代ですよね。

能夫 そうね。昭和五十年、二十六歳でしたよ、同じだね。

明生 順番から言うと『道成寺』や『石橋』とは前後しますが、一つの関門であることは確かですね。白頭を勤めておかないと流儀では一人前とは認められないという風潮はありますね・・・。

 

能夫 流儀の看板といおうか、特殊なものだからね。ここを通らなくては先に進めない。つまり白頭がやれるときが、時至るみたいな感覚ってあるんだよ。

明生 白頭になると、あの喜多流独特の狐足になり、それをいかに成し遂げるかが課題ですね。腰に力を入れ、踵をつけずに、つま先立てて俊敏に、白頭の上に戴いた狐の冠が微動だにしないで溌剌と動き廻れるかでしょう。身体能力的には技の切れみたいなものがしっかり披露できるか、そのことに尽きると思います。作品の主題云々よりも、ちゃんと狐足が習得できたかですね。

能夫 『小鍛冶』白頭はそういうものだと、言い聞かされてきたからね。

明生 片足で立つ型が多くありますね。あれはバランスよく一本足で型が決められるかどうかが勝負で、それが基本の第一だと私は思っています。あれが出来ないと『猩々乱』に繋がらないように思えます…。一つの大事な見せ場ですから。足腰の強靭さや体の切れを習得して、そしてゆくゆくは『石橋』や『道成寺』につながるという図式だと思います。伝書を読むと流儀にはいろいろアクロバティックなものがありますね。『小鍛冶』も本来は台の乗り降りは片足だけで行う難儀なものらしいですが…。

能夫 運動技術の大事さを学べ、精神性だけではできないものがあるぞ、というような教えなのかな。今なら反発を感じるけれど、昔はそういうものだと思い、そのような環境に不信感を抱かなかったし、その精神は若い人にも続いていると思うよ。若い時期の一つのカリキュラムとしてね。

明生 そういう意味では、私も能夫さんも二十代という若い時期に披くことができてよかったわけですね。今の若い人たちの披きが少し遅くなっているのが気になりますが…。

能夫 できれば二十代で披いておきたいね。

明生 以前『殺生石』を勤めたときに「白頭」について考えたことがあります(「演能レポート」参照)。「赤頭」「黒頭」に対して「白頭」となったとき、どういう意味合いになるか。白頭は文字通り、白い頭、白い髪となるので、老いのイメージがあります。でも能の世界では単純に老いを表すのではなく、劫を経たものの威厳とか、超越した力、神格化したものまで含めて、それらを象徴的に表現するために使われると結論をだそうとしたのですが、そうすると『小鍛冶』の白頭だけが異例で独特なんです。

能夫 白頭になったときの意識は何かということだよね。『小鍛冶』白頭では狐足が入って俊敏な動きが要求される、劫を経たものとか老獪なイメージではないからね。僕ら『小鍛冶』白頭があることによって、白頭のイメージがおかしくなっているかもしれない。

明生 『殺生石』で白頭を勤めたとき、それはとても重々しいものに感じられました。だから『殺生石』では白頭の意味づけが分かるのですが、では一体、喜多流の『小鍛冶』の白頭というのは何なのだろうかと悩みます。どうしてあのような獣に近い動きの白頭ができたのでしょうか。

能夫 どの時代の人かは分からないけれど、どこかで演出の工夫がされたんだろうね。白頭は「野干(やかん)」、つまり狐の顔をしている面をかけるのが本筋だよね。野干をかけるなら、動きはこうというのがあるでしょうね…。喜多流には切る足、老女の足、抜く足などがあるから、そこからの発想があるかもしれない。でも伝書の書き付けにはどういう足で舞えという記載はないんだよ。

明生 流祖七太夫が大蔵虎明に狐足を習ったと記載しているものもあるようです。虎明の伝書に「乱の内に畜類の足と云う事が有り、是は我が家の『釣狐』にあるにより、北七太夫が相伝させてほしい要望があった云々…」とありますから、古くからあったとも考えられますが…。

能夫 先代実先生と六平太先生でもやり方が違ったみたいだね。六平太先生はクンクンと鼻で嗅ぐような、狐をリアルに見せるようなやり方だった・・・。

明生 実先生はそういうものはあまり好まれなかったように思います。同じ獣の表現でも少しスマートになっているかもしれないですね。『小鍛冶』の白頭は老獪さというよりは少年のような純粋な白、鷺の白というようなイメージに近いのかな。白装束でドレスアップみたいな・・・。

能夫 神聖な、神格化した白頭かもしれないね。でも一般の白にある重々しさとか畏敬の念はあまりないから、白頭としては少し中途半端な感じがするね。

明生 どうして喜多流ではあのような白頭になったのでしょうか…。

能夫 それは奇を衒うというか、五流があって、お上の方から特徴を書いて出せと言われたとき、うちではこういう独特なものがあるという、発想ではないかなあ。喜多流にはこんな他流と違うお家芸がありますよと、鼻高々だったのかも。それを僕らも金科玉条のように、喜多流独特の素晴らしいものと思って、継承してきたが、どういう根拠でそうなったのか、さかのぼって検証していく必要があるかもしれないね。

明生 『小鍛冶』だけでなく、白頭全般についてですね。喜多流の白頭といえば、今話しに出た『小鍛冶』『殺生石』の他にも『鞍馬天狗』『黒塚』『山姥』『是界』などがあります。うちの流儀の白頭というのは、『小鍛冶』で俊敏で軽やかなものと若いころから強烈にインプットされているせいか、私自身は白頭にあまり重々しさを感じない環境で育ってしまった気がします。『黒塚』『山姥』など毛の色が変わるだけで、さほど中身が変わるわけではありませんし・・・。

能夫 『黒塚』『山姥』は全く変わらないからね。毛が白になっているだけで、戯曲の解釈は変わらない。本来小書がついたら、装束が変わって動きが変わりお囃子が変わる・・・と、演出の変化がはっきりと現れてしかるべきだけれど。

明生 そうですよね。それから『是界』は「白頭」という小書がつくものの他に、『白是界』という『是界』の上に白を入れて曲目の名前にしているものもあります。

能夫 これも喜多流独特のもので、特に重く扱っているよね。曲目に白がつくのには『白田村』もある。

明生 その二曲ですかね。

能夫 青がつくなら『青野守』もあるけど・・・。僕は研究公演で『白是界』を披いたけれど、この曲はとても重くて若造では歯がたたないと感じた。この曲は、古老から『白是界』というすごいものがあると聞かされていた十四世六平太先生が、熱海の温泉で何泊かして創ったと言われているけど、原本があるんだ。渋谷(しぶたに)流の原本、付けもある。研究公演ではそれに戻って復元してみたけど…。もう徳があるというか、白頭を超越しているような重々しさがあったね。

明生 どうして曲名に白を入れてしまったのでしょう。

能夫 不思議だよね。観世流では『是界』の小書としては「黒頭」があるだけで「白頭」はなかったんだ。それを喜多流の『白是界』を念頭において故観世銕之亟さんたちが「白頭」を立ち上げたみたいだよ。そういう意味では観世流に影響を与えたということはある。

明生 観世流や宝生流などは「白頭」に対する取り組み方や認識に、しっかりしたものがあるように思えるのですが、喜多流はどうも「白頭」にあいまいなルーズな面があるように思います。だから本当に位が重いものに対しては曲の頭に白をつけて大袈裟に区別せざるを得なかったとも考えられますね。

能夫 『白田村』だって、『田村』白式でもいいわけだよ。

明生 そっちの方が正統な気がします。例えば『白翁』じゃあ、ちょっと違和感がありますよ。白式という言葉の響きの方がいいように思いますが。

能夫 でも興行的には『白是界』『白田村』の方がインパクトが強く、うちは他流と違うと大見得を切れるというか…。

明生 『小鍛冶』白頭については故観世銕之亟先生が「老狐の神々しさを表すために動きを少なくし、それがシテの力によって一層強い印象をあたえ云々」と書かれています。観世流はそういう主張があり、白頭に対して筋が通っていると感じます。そう考えると、喜多流のあの動きは白頭の位置づけから外れていることになります…。でも正直なところ『小鍛冶』に関しては、あれはあれで喜多流の工夫であり、面白さやよさがあり、それでいいじゃない、とやかく言わなくともという気もしないではないですね。白頭一般の規範からは外れるとしても、そのくくりに入れず特別なものとしてよいのではないでしょうか。今まで伝承されたものを、それなりの技の切れや演出の工夫で生かしていけばいいのであって・・・。しかしその他の曲目の「白頭」については研究の余地があるように思いますね。

能夫 そうだね。稽古し、実際に勤めてみて「白頭」について検証してゆく、『小鍛冶』白頭は別にしても、何か筋の通ったものが考えられるといいかもしれないね。

 写真 『小鍛冶』白頭 シテ粟谷明生   17年3月6日 粟谷能の会  撮影 石田 裕

写真 『小鍛冶』白頭 シテ粟谷明生 

17年3月6日 粟谷能の会  撮影 石田 裕

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