我流41『朝長』 『白是界』について


明生 今度の第百三回・粟谷能の会(令和二年三月一日・於国立能楽堂)では、能夫さんが七十歳で『白是界』を、私が六十四歳で『朝長』を勤めることになりました。

能夫 早いものだね。もう七十歳ですよ。ただただ、コツコツと積み上げてきただけという気もするけれど。

明生 そうですね。一つひとつ、真剣にやって来た、と自負しています。私も六十四歳、今度『朝長』をどう勤めるかです。父(菊生)は『朝長』演やっていないので……。

能夫 父(新太郎)は演っているし、僕も五十代で勤めているなあ。下掛りの『朝長』は上掛りとは前場の雰囲気がちょっと違うよね。上掛りは、シテがお伴の人(シテツレ)を連れて登場するけれど、下掛りは一人。上掛りは、まだ戦乱の時代だから用心のためにお伴を連れて出る、という説を聞いたことがあるよ。喜多流が一人で出るのは青墓の長者に焦点を絞ることなのかもしれないね。そしてシテは、名乗り、サシ、下げ歌、上げ歌と謡って、正先前に出るとその後ずっと座りっぱなし。

明生 足が、きついですね。父は膝の具合が悪かったため、朝長は諦めていましたが、「あの語りは一度語ってみたいなあ」と、話していました。残念がっていたのを思い出します。前シテは青墓の宿の長者、後シテは朝長の霊、前と後とで全然違う人物を演じます。役者としてはそのこと自体に全然ストレスはないのですが、前シテの青墓の宿の長者をどう演じるかが難しいですね。後場の朝長は、床几での「馬はしきりに跳ね上がれば」の腰掛けたまま飛ぶ特別な型が技術的には難しいところでしょうか……。

能夫 そこは上手くやらないとね。後場の朝長の修羅の有様を見せる場面も重要だけれど、やっぱり大事なのは前場の「語り」だね。朝長というのは源義朝の次男、長男は悪源太義平で三男は頼朝。都大崩れ(平治の乱)で敗走の途次、義朝親子らは青墓の宿の門を敲く。朝長は膝の口を射られ重おも傷でを負っている。足手まといになってはいけない、雑ぞう兵ひょうの手にかかるよりはと決意し、夜更けに腹を掻き切って自害する。

明生 そのことを知った清凉寺の僧(ワキ)が、その跡を弔おうと青墓の宿にやって来る。その僧はもと朝長の傅子(めのとご‥幼君をお世話する男性)でゆかりがある人物です。そこに現われるのが青墓の宿の長者。

能夫 青墓の宿の長者というのは義朝の愛人という説もあるようだけれど、いずれにしても義朝らを保護できるほどの力をもっていた人物だと思うよ。宿は遊女を多くかかえ、交流の要所であって、多くの人が行きかい、だから経済力もあっただろうしね。

明生 大垣市青墓の円興寺の裏山には朝長の墓があって以前にお参りしてきました。写真探訪に残っています。

能夫 青墓の宿というものは、どういうものか知ることも大切だね。で、そういう場所に義朝らが落ちてきて、史実は義朝に介錯されるらしいが、能では朝長は自害してしまう。その驚き、悲嘆の共有なんだろうね。

明生 朝長ゆかりの二人が出会い、ワキはシテに朝長の最期をくわしく語ってと所望し、「語り」が始まります。

能夫 長い語りとクドキ。ここをずっと座ってやるんだからつらいんだよね。母が子の死を悼むような感じもある。

『朝長』 シテ 粟谷能夫 平成10 年10 月11 日 粟谷能の会 撮影:東條 睦

『朝長』 シテ 粟谷能夫 平成10 年10 月11 日 粟谷能の会 撮影:東條 睦

明生 複雑な立場と思いを抱えて、その境地で謡うのは本当に難しいですね。べたついてはいけないし、あまり納め過ぎてもいけないように思います。

能夫 シテは現場にいた人間だからね。腹を切ったところを直接見たかどうかはわからないけれど、少なくとも緊迫した様子は一部始終体験している、という設定だから。

明生 緊迫感が大事ですね。

能夫 語りやクドキは、その人が生涯決して忘れられないことを、これを語らなければ死んでも死にきれないという思いで語る。凝縮した力が演者には必須でしょう。

明生 本当に容易でないですね。以前、友枝昭世師が初めて小書「懺せんぼう法」を演られたとき、私、地頭の父にクドキの後の地謡の、「これを最期のお言葉にて」と「悲しきかなや」の段、そして「かくて夕せきよう陽影映る」の三つの段の謡をどう謡い分けるか聞いたのですが、「その場の雰囲気だよ」と、逃げられちゃいましたよ(笑)。

能夫 菊叔父ちゃんらしいよね。シテがこう来たらそれにこう応える、という感じだと思うよ。クドキが終わって、シテは座ったまま静かに地謡を聞くんだ。僕はその三つの謡の中では「悲しきかなや」になると、自分についていた穢れみたいなものが洗い流される、浄化されるような気持ちになったね。地謡によって、興奮し血しぶきが上がっていたものがすっと浄化され無垢になる。そして「かくて夕陽」の段でドロドロしたものが変っていくような気持ちになったのをリアルに覚えているなあ。

明生 観世寿夫先生の葬儀で、追悼の謡が「悲しきかなや」だったと聞いています。父はあのときあの場所で謡われた謡が素晴らしかった! 喜多流じゃ出来ない、と断言していましたよ。それに、銕仙会の玄関から入ると正面に寿夫先生の『朝長』の大きな写真が飾られていて、面が「中将」じゃないのが衝撃的でした。

能夫 朝長は年齢が十六歳だから、「中将」よりはもっと若い「今若」か「十六」が適当だろうね。能のランクとして考えると、位高くということで「中将」になっているようだが、どうだろうね。

明生 モノクロの写真ですが、引きつけられ、いつか自分もこのように、と憧れを抱かせていただきました。

能夫 そういう思いが大切だよ。

明生 それから、私が小書「懺法」を初めて見たのは、水道橋の能舞台で、シテが静夫先生(観世銕之亟先生)で地頭が寿夫先生でした。能夫さんに見ておいた方がいいよ、と言われて渋々見に行きました(笑)。

能夫 あのころは明生君、能の世界に対して横を向いていたからね。

明生 拝見して『朝長』っていいなあ、と感激しました。そして驚いたのは、それまで地謡は謡うときに身体を動かしてはいけない、と教えられていたのに、寿夫先生は動く、動く。身体を動かして謡われていたこと。

能夫 それだけ全身全霊で謡っていたんだよ。

明生 そういう先人たちの良い舞台を見て格好いいなと感じ、そして自分自身も地謡として『朝長』を体験して、その舞台のエネルギーを吸収し……、そういう体験を基に、『朝長』の難しい「語り」に挑戦したいと思います。

能夫 それが大事だよ。

明生 では次は、能夫さんの『白是界』について話しましょう。『是界』の小書には「白頭」もありますが、さらに重く大事にしているのが『白是界』です。小書扱いではなく曲名に「白」を入れてしまうのは喜多流だけですね。

能夫 そうね。曲名を変えてしまうのには『白田村』もあるけれど。『是界』「白頭」は位も上がるが、装束や面が変わるぐらい、『白是界』はかなり違うものになっているね。

『白是界』 シテ 粟谷明生 平成22 年10 月10 日粟谷能の会 撮影:前島写真店

『白是界』 シテ 粟谷明生 平成22 年10 月10 日粟谷能の会 撮影:前島写真店

明生 再構想、構築しなければいけないですね。

能夫 『是界』の前シテは、普通は直ひためん面ですが、面を付けた演出もしてきました。『白是界』の後シテは装束が白一色になり、面も大ベシミから悪尉ベシミに変わります。小書「白頭」のときの鹿背杖は突かず、羽団扇と数珠を持って出ますから、老いたイメージは無くなります。

明生 『白是界』には伝書がありません。十四世宗家・喜多六平太先生がどこかにこもって考えた、と言われていますが、正式な伝書というものはないから、過去の演能を見た人間がより良いものに替えて伝えていくしかないです。

能夫 だから自由に演出できる楽しさ、喜びがあるね。

明生 父は好きで二度ほど演っています。友枝喜久夫先生も演っておられますね。

能夫 不思議と父は演っていないんだよ。友枝昭世さんも演っていないんじゃないかな。

明生 皆様、いろいろとお好みが違いますから。

能夫 それはそれでいいんじゃないの。

明生 老女物だって、新太郎伯父は『鸚鵡小町』を演って『卒都婆小町』は演らなかった。父は『鸚鵡小町』は演らなかったけれど『卒都婆小町』は演り、晩年には運よく『伯母捨』が出来て、それ以後、諸先輩が勤められるようになる先頭を切り開いてくれました。

能夫 それがいいんだよ。おかげで我々は、老女物をあらかた見ることができた。

明生 ところで、能夫さんは『白是界』、平成六年の研究公演で勤めていますね。私はツレでした。そのときに、いつかもう一度しっかり演ってみたいと言っていましたね。

能夫 そうね。今、いろいろと妄想を巡らせていますよ。僕が最初に『是界』を勤めたときは、もちろん小書なしの普通のものだったけれど、手ごたえというか異質なものを感じました。パワー全開というか、ものすごくパワフルにやらなければいけないとか、若いときに学んだような気がします。数年前、京都でも演りました。今回もパワフルというコンセプトは共通ですが、それ以上の何か、年相応の表現方法というものを考えてみたいね。

明生 若いときとは違う負荷がかかるということでしょうね。私も平成二十二年の粟谷能の会で『白是界』を勤め、いろいろ考えました。伝書がないのではっきりとした根拠がある訳ではないのですが、私が考えたのは、強がりを言っていた天狗も最後は負け天狗、そのあたりを描きたいと。最後に数珠を捨てる場面は、今まではただぽいっと捨てるだけでしたが、私は「こん畜生、頼みにしていた数珠が何の役にも立たないじゃないか!」と、悔しさをにじませて放り投げて捨てることにしました。この数珠があれば何でも大丈夫、異常なパワーを出すグッズのように信じていたのに、いざ! というときに全然駄目じゃないか!、みたいな、ちょっとおどけた感じも出したく……。

能夫 仏法を滅ぼすために日本にやって来たのに守りグッズが数珠というのも可笑しなもので、その変な面白さがあるよね。僕は数珠を投げ捨てるときの思いは明生君とちょっと違って、是界坊の最後っ屁だと思うんだ。この数珠が効かなかったではなくて、くそっ、今回は負けたけれどまだ戦うぞ! という意志表示というのかな。だから演じ手によってコンセプトは違っていいと思う。

明生 伝書がないから自由に演出できる、そのよさですね。

能夫 最初は直面でやったけれど、次は面をつけて、そして次はもっと自由にやっていいというのが実に楽しい。任されているという感じがします。

明生 自由に演出できるよさはありますが、ここで是界坊は何者なのかもう一度認識し直さないと、無茶苦茶なものになる危険性はありますよね。

能夫 その辺は気をつけないとね。

明生 後シテは全身白装束ですが、これが誤解されやすい。白というと清純とか無垢とかきれいなイメージがありますね。でもこの「白」は全然違う。そういう清純そうな格好をして悪なんですよ。ウソつきなのです。偽ブランドなのです。だから、悪玉の邪心や悔しさをもっと演出してもいいのではないですか。

能夫 白で悪のオーラーを出さなければね。明生君の能の天狗物には善玉天狗と悪玉天狗があるという説ね。善玉天狗で代表される『鞍馬天狗』の天狗は力もあり、義経を励ます立派な天狗を演出すればいいけれど、悪玉天狗の『是界』や『車僧』の天狗は並みのパワーではない強さ、悪どさ、それでいて、どこか滑稽なところがある、そういう複雑な天狗を演出しなければいけないね。

明生 それに、私は「小書」という演出が好きです。小書と称して、先人たちが特別演出を試みた。何でそこを減らさないといけないか、あるいは足さないといけないか、試行錯誤した跡が感じ取れます。それが自分が演出する際にとてもよいヒントになります。

能夫 小書には凝縮された演出意図が隠されているからね。

明生 それにしても『白是界』を勤めると、スケールの大きさをどのように表現するか、を感じます。私たちが今住んでいるところとは全く違う空中、雲海に乗って飛行して来るイメージですから。飛行機に乗って雲海を見下ろすと天狗が思い浮かびます。ああ、こういう景色を見ながら、是界坊は雲に乗って日本に降りて来たんだなあ、と思うと雄大な雰囲気作りも大事だと、気づきます

能夫 スケールは大きいよ。地謡の大ノリで「不思議や雲の中よりも邪法を唱ふる声すなり」と謡いあげ、「本より魔仏一如」、「凡聖不二……これを不動と名づけたり」と謡うなか、シテはどっしりと構え、次のイロエで僧正を魔道に引き入れようとの立ち回りをするんだからね。

明生 「白頭」よりも、『白是界』はスケールの大きさを表現しやすいようにできていますね。

能夫 数珠を胸の前に引き上げ持つことを「如意」の心だとの教えがあります。如意棒というの、袈裟を直すときに使うものだったらしいけれど、背中を掻いてもいいし、何でも自由に使っていいものなんだ。先人たちから教わったものをベースにしながらも、如意に、わがままに、楽しくやってみたい。体にも頭にも負荷をかけて頑張らなくちゃ。

明生 いいですね。如意に、わがままに。 (つづく)

Keiichiro KANEKO