阿吽43 日本文化のすばらしさを世界に 粟谷能夫

『山姫』 シテ 粟谷能夫(平成30 年3月4日 粟谷能の会) 撮影:吉越 研

『山姫』 シテ 粟谷能夫(平成30 年3月4日 粟谷能の会) 撮影:吉越 研

東京オリンピックの祭典が来年に迫って参りました。前回一九六四年の東京オリンピックの折、私は国立競技場で男子一〇〇メートル走を観たことを思い出します。

今オリンピックといえばスポーツの祭典のようですが、古代オリンピックは、体育や芸術(ポエム等)の競技祭だったようで、その名残が開会式の演出等に見受けられます。そのような縁で前回は、能楽協会、オリンピック東京大会組織委員会等の主催により、東京オリンピック能楽祭として十日間の日数で能を催しました。父新太郎は能『船弁慶』を勤め、私も働として参っておりました。見所は若い人々で盛況でした。当時の大学生が主だったように感じております。

戦後GHQの文化統制により、古典芸能は打撃を受けておりました。例えば神楽などは天皇や尊といった登場人物が問題となる等、圧力は数え切れません。西洋文化や価値観の波が押し寄せ、日本文化の衰退が懸念されました。

だが東京オリンピックの開催が決まると、自国の文化を見つめ直す気運が高まり、アイデンティティを取り戻す好機となったのだと思います。しかしながら、文化が多様化した昨今、人々の価値観や感性が変化するのは当然です。

その中で伝統芸能として能楽への理解を広めて行くのは難しい事なのですが、中世以来の長い歴史の荒波を乗り越え、変遷を遂げつつ来た中で、これ程沢山の抽斗(ひきだし)を持つ芸能も珍しいと思うのです。演劇、音楽、面装束、歴史、文学等々、見方は十人十色です。

二〇二〇年東京オリンピックに向け、開催国として日本の伝統文化の再発見は必然です。我々も能楽の素晴らしさを世に訴えて行かねばなりません。

前回東京オリンピック当時十五歳でした私も、二〇一九年に古稀を迎えます。唐の詩人、杜甫四十七歳の時の〔曲江〕に「酒債は尋常 行く処に有り 人生七十 古来稀なり」とあります。酒代の借金は当たり前のことで、行く先々にあり、どうせ人生七十年まで生きるのはめったにない(だから今のうちに飲んで楽しんでおきたいものだ)という意味です。当時杜甫は不遇で、酒におぼれていったとの事です。そして杜甫が亡くなったのは五十九歳でした。今日本では人生百年という時代に入り、健康寿命が問題だと思っています。私自身若い頃は、一心不乱に夢に向かう力や既存の体制への反抗心があり、とがっていたと思います。時と共に昔は持っていなかった心の余裕も生じるようになりました。長年積み上げてきた舞台の経験や知識を、次の世代に伝えなければと思っております。

Keiichiro KANEKO