阿吽29 謡が身につくということ 粟谷能夫

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お弟子さんに「先生、謡はどのように発声するのですか」と問われることがよくあります。私は「腹に力を入れ、声を出して下さい」と申しますが、中々理解出来ないようです。腹に力を入れるというのは横隔膜の上下運動による腹式呼吸でするということです。腹式は胸式に比べて深く空気を取り入れることが出来ます。この呼吸の仕方が判らず、問題があるらしいのです。

そして、発声は口の中で共鳴させるように言葉を発します。普通の会話の時のような生声では謡とは言えないのです。また、喉をあまり締め付けないようにします。

そしてその前に声帯の問題がありますが、これはもって生まれたものであり、鍛えることは可能ですが、時間がかかることでもあります。

色盲は男が多く、味盲は女に多いと言われます。この二盲がある以上音に対しても、音盲と称するものがあって然るべきなのですが、世に言う音痴というものがこれに当たるのでしょうか。音痴はある音楽家に言わすと環境によるものだそうです。常に良い音の環境にあって訓練すれば、治すことが出来るそうです。

謡は他の日本古来の音楽と同様、音階が少なく、音域も狭く、謡い方が大体どの曲でも大差がないので、簡単に思えるのですが、同じような謡い方で各曲の違った感じを出さなければならないところに、かえって他の音楽に比べて難しさがあります。また、絶対音がないので、ある音を決めて、それに高低をつけていくことになり、音感をよほど働かせなければ曲にならないということもあります。

そしてもう一つ、間痴なるものがあるそうです。間が悪いと言われるようなリズム感が少し足りないことのようですが、謡には独特の拍子があり、中々の難敵のようです。

いずれにしても、時間をかけ、繰り返し稽古をすることで発見し、修得していくものなのでしょう。

僕のように幼い頃から能の世界で育ち、謡がいつも身近にあった者には、呼吸法や音階、謡い方がごく自然で、繰り返し稽古すると同じように体に入ってきました。幸いにしてそれが職業として成立したがために、一種の純粋培養された状態で生きてきたわけで、そういう人間にとって、例えば絵も描けば、小説も書くといった多才な人々が羨ましくもあります。きっと僕などに窺い知れないほど発想の転換が上手なのでしょう。しかし僕はまぎれもなくこの世界で生きてきたのです。能は謡い抜きでは語れません。謡いでいかに表現するか、その良さを伝えられるかを考えつつ、これからもこの一筋の道、能と格闘をしていきたいと思います。

koko awaya