対談 禅宗などから 松下宗柏氏との対談 その3

対談 禅宗などから
能には命の高揚があるのですね

粟谷 明生
松下 宗柏

 臨済宗の機関紙『法光』で「能の楽しみについて」記事にしたいということで、私(粟谷明生)のお弟子さんでもあり、臨済宗の僧侶でいらっしゃる松下宗柏氏と対談を致しました。能は宗教がベースになっていることもあり、宗教的、哲学的な話は興味深く、松下氏の軽妙な語り口に乗せられ、話は縦横無尽、とどまるところを知らぬこととなりました。

第3回目

内面からの訴えかけ

松下 おシテをなさるとき、一曲一曲をどういう風に舞うかというイメージを自分なりに作っていくのですか。それともそういうものはない方がいいものなのですか。

粟谷 いや、イメージはあり、それが大切だと思いますよ。

松下 自分にとって、たとえば『敦盛』なら、どういう風に演じるかというのはあるのですか。

粟谷 ありますね。若いころはとにかく基本型をたたき込まれます。その次の段階での演能では前回よりステップアップしていかなければならないと思うのです。私は十九歳のときに『敦盛』を初めて勤めて、その後三十二歳、三十五歳と、計三回勤めていますが、それがみな同じようではまずいわけです。変わったのは髪の量と顔形だけではね。粟谷明生の演ずる敦盛が変わって行く…良い方向に成長していかなければならない。動き(型)はそんなに変わるわけではありませんから、謡にしても舞にしても、要するに密度を濃くする、内面からの力、訴えかけをすごく強くという…非常に難しく、お判りにくいかもかもしれませんが。そのために何をするか。たくさん稽古し研究して説得力ある謡い方をする。ただウワーッと謡うのではなくて、ボリュームは絞るけれども、中の芯は非常に硬くなる、硬質になるとか、女性をやる場合でも、艶のある謡い方もあるし、艶をちょっとそいだような謡い方もあるし、その辺はそれぞれ役者の生き様、やり方が出てくるのだと思います。私は演じ手の気の充実度が大きく影響してくると思うのです。演者の内向するエネルギー、それを身体にためる、そしてそれ自体を意識しないで舞台に立つということです。これはなかなか難しい課題でして、最初に溜めていないものはやはり空虚な芸になる。感動のない、それなりのつまらない舞台にね。

お能の女性はちょっと恐い

松下 男性役はいいとして、女性の役の場合は、女性の心を演ずるとかいろいろ難しいでしょ。

粟谷 女性だからといって、能は歌舞伎の女形みたいに演ずるわけではないですからね。お腹の底から強く男の声でウォーと謡うわけですが、技法として女性として聞こえる、または男っぽく、武士っぽくという区分けの工夫はされていますね。

松下 お能に出てくる女性というのは、嫉妬とか怒りとか恐い女性というイメージで、中にはかわいい、きれいという女性もいるのでしょうが、私がお稽古した数少ない曲で見ると『黒塚』とか『鉄輪』とか恐いでしょ。

粟谷 まあ、能の世界では幸せな女性というのは少ないでしょうね。

松下 この間の『通小町』で先生が演じた小町は、最初は幸せなのですかね。

粟谷 いやあ、小町ははじめから負を背負っています。

松下 でもきれいでしたね。かわいいイメージありますよ。何かほっとするというところがある。

粟谷 あれはどうか助けてといって、お僧のところに出てくるのです。

松下 けなげな感じがしましたけれどもね。

粟谷 迷われているというか、成仏できないでいるというか。

松下 お能というのは女人成仏を扱う。女性はもともと業が深いということで、迷ったり苦しんでいる人が多い。

粟谷 多いですね。だから法華経は受けますよね。女人成仏ですから。

松下 法華経ですね。苦しむのは女性という感じがね。

粟谷 昔の仏教の教えでは、女性であること自体が苦しみであるわけでしょう。だからそういうものが基盤にはなっていますよね。例えば『葛城』など、シテは女神であるのに「さなきだに女は五障の罪深き」と謡い、女性であるが故の、負を背負っていることの嘆きを言うわけですよ。

松下 もともと仏教には「女性は業が深い。男に生まれ変わらなければ成仏できない」とういうような説もありましたが、平安時代、最澄が「衆生本来仏なり」とする「法華経」を日本仏教の中心に据えたことによって、鎌倉、室町時代になると、だいぶ様子が変わりました。

粟谷 女人成仏の話は「法華経」のどこにあるのですか。

松下 「堤婆達多品」に「竜女成仏」という話があります。それに禅宗でよく読む「普門品」(観音経)には「観音菩薩は、婦女の身を現じて法を説きたまう」「童男童女の身を現じてときたまう」というふうに出ています。だから観音さまは人気がいい。

粟谷:そういえば『田村』『湯谷』など清水寺を舞台にした曲には、観音さまを讃える箇所がありますね。ところで、最澄以前には、「法華経」は伝わっていなかったのですか。

松下:奈良時代にも伝わっていて、「法華経」は女性のためのお経と言われていたみたいですよ。聖武天皇が全国に建てた国分尼寺は「法華滅罪寺」とも称されましたそうです。それを、最澄は仏教の中心に据えたというわけですね。

粟谷:これで、男も女も晴れて平等に成仏できるようになったというわけですね。

松下:それにしても、お能には悪女みたいな人が多いですよね。『道成寺』なんか、女性恐怖症になるような(笑い)。

粟谷 あれはまさに清姫の親、真砂庄司と、能では奥州白河の僧ですが安珍ですね。あの二人の責任。「あの男がおまえの亭主になる」と戯れ言を言い、安珍もその気になるような振る舞いをする、すると幼心に真と思ってしまう、娘を責められない、まわりがいけないのですよ。

松下 あの女性、追っかけてくるからね。やあ、これは昔も今も同じなのだと思いました(笑い)。

粟谷 恐ろしいけれど、作り話的なものではないでしょうね。現実にあったことをベースにしているのではないでしょうか。そういうものが多いですよね。ただ『羽衣』などは、羽衣伝説から作られているものですね。

松下 だいたいお能には現実の素材があるのですね。

粟谷 そう思いますね。

『羽衣』の二つの小書

松下 『羽衣』は、いいですね。

粟谷 『羽衣』はね、やっぱり。天女であって、神ではないわけでして。そこが私は面白いのですが…月の世界で神にお仕えしている位、というか身分。月の世界では、まだ位の低い方で、ちょっと下界に来て、水浴びして遊んでいるからたいへんな目に会うわけですよ。裸で、男に捕まっちゃう。

松下 そうそう(笑い)。

粟谷 そこで「あー私はなんていうことをしていたのかしら…、羽衣を取られてしまったという苦悩が始まる。そして下界で駿河舞を見せることによって、地上の世界に染まっていく。地上に未練というか、もうちょっといたいというような風情が生まれてくる。そういう演出はうちの流儀では「舞込」といった演出で、下界に未練を残しながらも時間が来たからと、回転しながら月世界に上っていくというパターンです。「霞留」という演出では、「白龍に約束の舞を見せたわ、やるべきことはやった、もう時間だから帰らなきゃ」と、最後は下界を見ないで、天、月の都だけを見てすーと消えていくというやり方なのです。

松下 同じ曲でも、演出によって違うのですね。

粟谷 そう解釈し、私は二つの小書を舞い分けています。小書がつかない普通の演出ですと、「霞にまぎれて失せにけり」と地謡が謡っているときに、まだシテはくるくる回りながら舞台にいるわけですよ。川柳で「失せにけり 幽霊いまだ 橋掛り」というのがあるくらいで、失せにけりと言いながらまだ舞台にいる、観ている人間はそこで消えたと思ってくれなきゃ困るという約束があるわけです。だけど、それならもうちょっとわかりやすくしよう、と別の手法でと、小書(特別演出)が生まれてくる。「霞にまぎれて失せにけり」と謡って、本当に天上界に消えていくようなやり方もいいのではないかというので、喜多流では「舞込」、舞ながら幕へ入り込んでいくというやり方ですね。「霞留」というのは「霞にまぎれて」と謡ったら「失せにけり」は謡わずにシーンとして、囃子だけが奏で、その間に幕の中にすーと入っていく。そこに残った、残像のようなものを楽しもうという手法です。「霞留」は、あなたへの約束は果たしました、ちょっと未練はあるけれど帰りますといってすーと消えていく、その辺のきれいさですね。「舞込」はなごり惜しいけれども、まだ何となく下界にいたいけれど・・・。

松下 情が移っているわけですね。

粟谷 そうそう。未練が残るような感じ。だからずっと白龍を、三保ノ松原を見、駿河湾を見、日本の国土をずっと見ながら消えていくという演出ですね。こういうところがお能の面白さ。演じ手にとっても面白いところなのですね。

松下 観客の方も、そういうものを感じるのが醍醐味になるわけですね。

粟谷 そうそう。感じる力がないとダメなのです。

能を「観る」ということ

粟谷 感じさせる力が演者にも必要だし、感じる観客の目も必要です。あまり能はサービスの行き届いた芸能じゃないといわれますから、一生懸命観る、想像するという世界ですからね。

松下 ある程度お能を楽しむのも、お能に対する嗜みがないとできないですね。

粟谷 そうですね。

松下 神通力で観るわけにいかない(笑い)。

粟谷 だから数多く観ろといいますよね。能はわかりません、と言われる方に、何番ご覧になったのか聞くと三番なんて。じゃ三十番観てください。それでもわからないなら三百番観てください、とね。

松下 同じ曲目のお能でも全然違いますものね。

粟谷 演者によって違うし、演者のコンデションによっても違いますからね。同じものはないわけで…、話が少し飛びますが、演じ手からすると、屋内か屋外でやるかでも違いますよ。自然を全く感じない屋内と、ときには電車の音が平気でしてきたり、風が起こったりする屋外とでは違いますから、演じ手もそこで変えなければいけないし、観ている側も変わらないといけないと思いますよ。

松下 舞台の状況によりますね。

粟谷 どちらにしろ、観るという想像力、自分の中に世界をつくるというのが必要なのですね。

松下 やっぱり、観ということですね。観能ともいいますが、その観という字、観世音菩薩の観で、見えないものを観るという。

粟谷 あーあ、なるほどね。だから、能を観るというとき、観るという字を使うのですね。

松下 それは非常に奥が深いですよ。自由にとらわれのない心で観るという。心で観る。心の目というか、心の耳というか。音なきもの、姿なきものをみるというときに、あの観るですから。ちょっと臭いけど、霊的なものを観ていく、お互いが感応道交していくという。そのときお互いも大事だと思うのですよね。観せてやろうと思うとダメでしょうね。お互い無我になったときが、観る側も無我、演じる側も無我というときに初めてすばらしい交流というか、出会いがあるというねえ。

粟谷 そうですね。それで無というのが全く無いということではなくて・・・。

松下 なくて、そう。

粟谷 非常にたくさんのものがあって、それでいてこうやって観せてやろうとかということがなくて…。これが相当難しいのですよ…。

型はからだについている

松下 仕舞なんかは、こうして、こう演じてというのはないのですか。私たち素人は四苦八苦しますが。

粟谷 我のまわりの玄人は型は間違えませんね、プロはね。謡は違うところ謡っちゃったとか、前に戻ってしまったなんてことは少しはありますけれど。

松下 お経といっしょだわあ(笑い)。一人がちょっと外したりすると…。似たようなのがあるのですよ。

粟谷 読経は本を読んでいるのですか。それとも暗記なのですか。

松下 長いものは見ることもありますが、普通は見ないのです。お謡もそうなのでしょうけれど、糸巻きをほどいていくように流れのなかで謡うわけでしょ。それが一つ間違う、一回違う方向に行くと、止まらなくなっちゃうのですね。

粟谷 謡では、たとえば上の句が同じで下の句が違うというのがありますからね。「さるにても慣れしままにていつしかに」『雲雀山』というのと「さるにてもなにのみききてはるばると」『桜川』というのがあるのですよ。これボーッとしていると違う言葉を謡ってしまうのです。

松下 ちょっと入るのね。

粟谷 その下の句について、次の人が謡うわけですから、よほど注意していないと、「今は昔に」と謡う所を「思い渡りし桜川の…」と謡って、あ…「これ違うよ!」、なんてことになってしまう。

松下 そうすると違う曲になってしまいますものね。

粟谷 そう、なってしまう。やはりたるんでいるとそうなってしまう。だから、間違ったときに「あっ、これ違う」と自分の頭のなかで正しい句を思って、次の言葉につなげていかないとね。言葉はつながって覚えていますから、前の言葉が違うと大変なのですよ。

松下 さっきのお仕舞ですけれど、曲目によっていろいろな組み合わせがあるのでしょうけれど、それをいちいち考えてやるわけじゃないのでしょ。

粟谷 それはやっぱり、体についていますけど。

松下 すごいですね。

粟谷 ただ、そこに意味合いみたいなものがあれば、心持ちを入れたりということはしますけど。次何だっけ、次はこうしてこうしてなんてことは、余りないですね。

松下 それは、一つの曲を何度も何度もなさるから入っているものなのですか。

粟谷 10代のときにたたき込まれているのと、あるパターンがありますからね。このパターンをこうしていけばいいんだなと。後は、どこに気持ちを持っていくか、どういう言葉のときにどうするかということで…。

松下 すごいですね。たくさんの舞台をこなされるわけですが、一曲一曲にすごく時間をかけて練習できないのではないかと思うのですけれど、よくこなされるなあと思って…。一回の演能では、いろいろの場合があるのでしょうが、余程詰めて練習をなさるものなのですか。

粟谷 大曲などは時間もかけ、詰めても稽古しますが、例えば『羽衣』を舞ってくださいと言われれば、それは今すぐにでも。稽古しなくてもできるものもあります。まああまり多くはないですがね(笑い)

松下 大曲というのはどんなものですか。

粟谷 修業過程の順でいえば喜多流では『猩々乱』『道成寺』『石橋』『翁』とか『望月』とか。私はまだできませんけれども、老女物、『卒都婆小町』『鸚鵡小町』や三老女の『檜垣』と、『伯母捨』など。老女物は別格ですね。安宅の関で勧進帳を読む『安宅』や『隅田川』という、子供を失って、京から関東まで女が訪ねてくる、実は一年前にその子は死んでいたという悲劇の能も、やはり大曲に入りますね。

松下 それで、人間の舞と神様の舞では違いますか。

粟谷 我々は役になるといっても神様になれるわけではないのでして、これはもう、脇能という形式、決まったパターンがあって、それを凛としてキッチリ舞うということでしかありません、あとは面や装束などいろいろなものが作用して補足してくれるのではないでしょうか。最初、子供のころは神様はやらせないのです。子供は純真だからよいように思えますが、やらせない。それは、翁をやった後に、脇能で尉姿としてシテをしなければならないという過程があるわけで、本来はね。この『翁』のシテはやはりある年齢を経た役者が出てこないと似合わないのです。尉というおじいさん役はやはり難しいですね。私は一番難しいのではないかと思っています。女流能楽師を私自身が認めにくいのは、この尉が女性では演じきれないというところに落ちるのが判るからなのです。

松下 神様という意識はそういうものなのですね。

粟谷 一応、あまり考え過ぎないことが第一かもしれませんね。それでできるのです。

松下 できるのですか。

粟谷 演者が勝手に演出できるようになっていないからです。言い方が乱暴かもしれませんが、形さえしっかり身に付ければ、結構できるのです。でもそれには徹底的な基本の修練が必要で、その上で単に意味もなく舞台上にいるだけなのに輝いて見えるとかその存在感の美というようなものが加わるのです。動きとしての型は非常に簡素な型の連続ですね。

松下 そういうすばらしいものがあるのですか。そういうのは口伝なのですか。

粟谷 口伝というか、盗む、いただいちゃうのですよ。先輩の演技を見ながらですね。指導者もある程度のところまでは教えられますが…、その後はもう全然教えない。懇切丁寧なんてことは若い人にだけですよ。

松下 どういうところで盗むのですか。

粟谷 見てです。

松下 舞台で?

粟谷 舞台で謡いながら見ていたり、楽屋裏から見ていたり… 。だからたくさん見ないと収穫が少ないのですよ。

松下 ボサッと見ていたらダメだなあ。

粟谷 ボサッとしていたらそのようなお能になる。世阿弥が、いいものを観ろと。そして悪いものも観ろと。悪いのもなぜ悪いかがわかっていいから観ろと言っているのですね。当然よいものは観なければいけませんが。

松下 私たちにお稽古をつけてくださって、それからご自分の舞台を勤められるというのは、時間の問題で、ご自身の稽古は丑三つ時にでも秘かになさっているのですか(笑い)。

粟谷 やるときはやりますけどね。その辺はプロですから。みなさんそうだと思いますよ。三日に一番ぐらいずつ舞台がある方に、うちの父が「いつお稽古をなさるのですか」と聞いたら「菊ちゃん、本番が稽古だよ」なんて言われたという話がありますけれど、そういう方は例外中の例外、特別ですね。私はまだそんなに多くないし、今ぐらいのペースはちょうどいいと思っています。



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