我流34  『道成寺』 『忠度』について

我流『年来稽古条々』( 34 )―研究公演以降・その十二『道成寺』 『忠度』について

明生 このところ、粟谷能の会で勤める曲について話していますが、今回も同様に第九十五回・粟谷能の会(平成二十六年三月二日)の『忠度』能夫、『道成寺』明生を取り上げて進めたいと思います。

能夫 まずは『道成寺』からにしよう。スケールが大きく、話すことが多いね。明生君は今度が二回目だね。

明生 そうです。再演です。『道成寺』は「金(鐘)が落ちる」といって、いろいろ経費も嵩みますから、再演はあまり考えていませんでした。父は、こういう華々しい曲は宗家や一門の長なら別だが、分家や弟子家系統は生涯一度で充分と言ってまして、父自身も一度だけでした。実は『道成寺』を演ろうと決断したのは、息子に見せておきたい、という思いもありまして。還暦を記念してとも考えたのですが、体力的なことを考えると少しでも早目がいいかなと。

能夫 それはあるよね。

明生 それに、一年に一曲か二年に一曲、大曲を自分に課して自分自身にネジを巻くような機会を持ちたい、と思いまして。まあ息子に見せる事は適わなくなりましたが…。実は今日、能夫さんの平成十八年の『道成寺』のビデオを観てきました。数日後(十一日)に父が亡くなる時の、あの粟谷能の会『道成寺』です。あれから丸七年が経ちました。時間の流れの早さに驚いています。

能夫 早過ぎるね。菊生叔父がまだ元気だったときの姿や、体が思うようにならないながらも懸命に舞っていた時のことが目に浮かぶよ。

明生 倒れたのが申合せの前日夜中、きつかったですよ。

能夫 かわいそうだと思ったけれど、それも試練なんだ、と。「お前ら甘いぞ、身をもって示すぞ」と言われたような気がしてね。たとえどんな非常事態が起きても、舞台は、能はきっちりこなす、つつがなくやるというのが、興行主の責任で、家の能を抱えているものには当然なこと。そういう思いがあって、片や、夜中からずっと治療をしている菊生叔父を思い、引き裂かれるような気持ちで舞ったよ。

明生 粟谷能の会の当日、能夫さんが父に「『道成寺』舞ってきますよ!」と話かけて…。私は大曲の『江口』を、父が謡ってくれるはずでした。謡うことは出来なくても、当日夜までは頑張って意識もはっきりしててくれましたね。

能夫 そう。だから僕も『道成寺』を演るにあたり、いつもとは違う何か特別な感覚で駆り立てられたよ。

明生 あれは、能夫さん、三回目ですね。

能夫 そう、披きは三十歳、二回目は高知、三回目が菊生叔父が生死をさまよっていたとき、五十七歳でした。

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明生 今、三十歳の披き(昭和六十一年三月)のときのように動けるとは思えないので、これからどのような『道成寺』を勤めるのかを考えています。今、自分の『道成寺』の動画を見ると、自分の謡が聞こえた瞬間に消したくなりましたよ(笑)。

能夫 『道成寺』の謡をその世代世代できっちり、と謡えるかは能楽師のテーマでしょうね。若いときはどうしてもエネルギーの爆発だけで気張って終わってしまいますが、本来は、女の哀しさが出ないといけないわけでね。

明生 そんなの皆無でしたね。披きは「乱拍子」と「鐘入り」さえ良ければ、あとはもうお許し下さいという感じで、後場は思う存分蛇になって動きまわりますから、それでお許しを…と。

能夫 もちろんそう。その躍動感がよかったのかもしれないしね。披きは難しい技術的なことをクリアできるかという通過儀礼のようなもの。それでも、家や流儀とか大きな力が働いて、みんなでシテを盛り立てる、稽古だって充分かけてやるし、そういう盛り上がりの中で生まれる。若者もそこで勝負する。体も一番動くときだしね。だけと、再演となるとそうはいかない。

明生 お披きでは技術的なことで無我夢中。シテの執心とか藤とか、そういうものは見えてこない。

能夫 そりゃ、そうだよ。そういうことは楽屋内でも期待していないしね。でも五十代、六十代で演るのは違うよね。とにかくシテが貧相ではダメ。いろいろな仕掛けがあるときに、それに拮抗する力を見せつけないといけないよね。

明生 体が動かなくなった分、謡で納得させることも必要となります。習之次第の「作りし罪も消えぬべき」の謡も、ただ勿体ぶって「つーくーりーしーつー」では平坦で、幼稚、静かな謡の中に込み上げてくる思いが聞こえてこないといけない。道行も乱拍子の中で謡われる和歌も、謡で創られる世界の数値を上げたい、と思っています。

能夫 年を経たわけだからね。技術面だけではなく、戯曲としてこの能をどう作るかの再考が必要だね。

明生 曲目のテーマに繋がる謡をどう謡えるか、ですね。もっとも謡だけに頼って型を疎かにするのも危険で、舞歌の技術的な向上を心掛けたいです。

能夫 そういう緊張感がないと危険だよ。

明生 今度、小鼓は大倉源次郎さんにお願いしました。近年、喜多流の『道成寺』の小鼓は幸流のお相手が多く、以前は、『道成寺』を披くために幸流に入門した人もおられたそうですね。

能夫 僕、入門したよ(笑)。

明生 大倉源次郎さんにお聞きしたら、昔の伝書に喜多流との演能記録があるようです。幸流の乱拍子は掛け声が短い代わり、その間(ま)がとても長いので、どうしても時間がかかります。今回は六段でやりますが、披きでは八段、演じる方も、また観ている側も耐久心、体力が要りますね。

能夫 披きは幸流でも、二度目からは他の流儀のお相手でよいと思うよ。その対応を今後に生かしていきたいね。

明生 大倉流の掛け声も声を裏返すのと返さないのと二通りあるらしく、今度は返さないのでやられるそうです。

能夫 そういうことをいろいろ知って再演することは上等だよ、いいよ。

明生 それから、シテの登場の場面、習之次第で、普通は『道成寺』の位取りで特別な手組からはじまりますが、今回は最初のヒシギと同時にすぐに幕上げにして姿を見せるやり方にします。能夫さんが三回目にやられましたね。

能夫 あれは本来、高安流のお家芸なんですが…。

明生 実は亀井広忠君に最初お願いしましたら、野流では公のものではないからとお断りがありまして。しかし後日、大槻文蔵先生の会でお父様の御宗家がやられたので、「もう解禁です」と笑ってご報告をいただきました。

能夫 時代、時の流れだね。最初から解禁とはいかないけれど、それだけのものを表現できる人材がそろって、できるようになればね。凝縮されていながら、スケールの大きさが出せれば、それもまたいいことですよ。

明生 下掛りの喜多流は、狂言方が鐘を吊りますね。すると、どうしても少し空気が緩み加減、なんとなく緊張感が途切れるようになります。そこで大鼓の大きな掛け声と共に幕が上がり姿を見せる手法も面白いのではないかと、前回の能夫さんのを見て真似したいと思いました。

能夫 再演となると、いろいろ見直すことが出来るね。面・装束も、例えば前シテの面は「増女」が多いけれど、本来喜多流は「曲見」ですよ。でも果たしてこれで演じることができるのか、難しいから「若深井」ではどうだろうかとか、いろいろ考える余地があって然るべきでしょう。若い女性のイメージよりちょっとふけた感じであっても、女性の強さ、底力を感じさせる面があるはずだよ。

明生 そうですね。でも老けより若いので演りたいので(笑)、今回は、艶ある表情の面にしたいと思っています。

能夫 それもいいね。シテ方は面に執着心がないといけないよね。触発したり、されたりと、そういうことが、能役者にはすごく大事なことだよ。

明生 後シテの面は「般若」でしょうね。蛇体ですから「蛇」が本来なのかもしれませんが。でも「蛇」は完全に女性でなくなりますね。

能夫 「般若」の方が表情豊かで面白いよ。女性の恐さだけでなく哀しさが出てくる…。

明生 哀しさは「蛇」では出ませんね。それで『道成寺』の白拍子の女は、どんな女性なのでしょうか。

能夫 『道成寺』のもととなった『鐘巻』を研究してみるといいと思うよ。

明生 はい、そうですね。

能夫 とにかく『道成寺』は、これまで能の世界で生きてきた、そのすべてを込めてやってくださいよ。さて、僕の『忠度』、この曲も謡が難しいねえ。前シテも後シテも一声が、強吟と和吟が入り乱れている。思いの強さの表現なのだろうか。和歌への妄執があり、ロマンがあり、それを訳知り顔で謡わなければいけない。難しいよ。

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明生 それが世阿弥の仕掛けでしょうね。「源平などの名のある人を花鳥風月に作り寄せて」と風姿花伝にある通り。

能夫 忠度は文武両道の人だけれど、俊成の弟子であり、和歌の道で生きたかった。その潜在意識が強いよね。

明生 それが千載集で読み人知らずとなって、思いが容れられなかった、その執心。それと没落していく平家への痛みもあるし。

能夫 そういうものが全部入っているね。ぼちぼち構想を練ろうと、伝書を見直したりいろいろ調べたりしているけれど、この設定はなんだろうとか思うところがある。あるところはしんみりのようで、あるところは激しく、そういう感情の起伏、躁と鬱みたいな揺れがあるでしょ。新たに挑戦しようと見直していくと、ああ、こんなに難しい曲だったんだ、謡が難しいとつくづく思うね。「行き暮れて木の下陰を宿とせば花や今宵の主ならまし」の辞世の句をどのように思うか…。不思議な曲ですよ。

明生 終曲も「花こそ主なりけれ」です。この歌が主調となって流れている。ときに強く。ところで『忠度』には五流とも小書がありませんね。

能夫 素で完成度が高く、何も入れようがないのかな。

明生 すでに固まった凝縮版ということなんでしょうね。ですから、演者は曲に対して真っ向勝負しかありませんね。

能夫 そう。今「カケリ」が気になっているよ。観世流は「イロエ」(立廻り)になるから。

明生 和歌を考えている風情と聞いていますが。待謡も観世流とは詞章が異なります。喜多流は「嵐激しき景色かな」で頭越しの一声となり文武両道の忠度の登場に似合っていますね。それが「カケリ」か「イロエ」かの選択の判断基準にもなっているのかもしれません。

能夫 「カケリ」が入るところ、金春流は「海上に浮かむ」のあとで合戦の模様のイメージが湧きやすいね。喜多流は「行き暮れて木の下を宿とせば」の後に入るから、和歌に対する執心、心の揺れみたいなものを出す気持ちだろうね。

明生 それなら「海上に浮かむ」のあとに「カケリ」、「行き暮れて木の下陰を宿とせば」の後に「立廻り」を入れてみてはどうですか。しつこい?(笑)

能夫 それやってみたいね(笑)。流儀によって解釈がいろいろある中で、喜多流の「カケリ」だけに拘らないでね。

明生 こういう見直し、試行を、以前は伝統を覆す愚か者のように言われましたが、既成に胡座をかいて,何もしない方が愚かなのではないですか。現行の小書も、先人達の演出の見直しから生まれたもので、観阿弥、世阿弥が考え出したものではない訳で、それが良いものだったら残り、そうでなければ消えればいいんですよ。ですから過去の演出を見直し、他流も見て、それを自分の能に照らしていく、それがいいと信じこの作業を楽しんでいます。

能夫 その作業大事だよ。僕もそうやって能楽師人生を送っていますよ。『忠度』は後シテの謡だって、強吟になったり和吟になったり、ただ吟を変えればいい、というものではないように思うよ。思いがあまたあるということ。そういう謡が必要なんだ。そこをただただこなしていけばいいみたいな風潮に、僕もものを言いたいな。昔の人は自然にやっていればその通りになったかもしれない。修業時代の積み重ねの多さがあるだろうしね。でも今はそういう状況にないから。だったらいろいろ考えて頑張ろうよと、次の世代にうまく伝えたいね。最初はうなずいて指導者や先輩の教えを聞いていればいい、しかしある年齢になったら、「己の調味料をかける」その事に気づこうよと言いたいね。

明生 能夫さんは若いときから観世流の能を見て刺激を受けてきましたよね。観世寿夫師や同年代の浅井文義さんに先輩の櫻間金記さんとも若いときに出会い、そして喜多流の能はこれでいいのかと、いつも提言していましたね。

能夫 この間、寿夫賞の祝賀会のスピーチで、友枝さんが「能夫が言ってくれたから今の私がある」と仰って下さってね。僕はただお能が好きで、喜多流の能はこうあってほしいと発信していただけなんだけれど。

明生 昔は、流儀以外の能を見る必要はない、それより己の稽古を積め、みたいな教えが正当化されていたように子ども心に感じていました。他流の能を見て熱くなっていた能夫さんをあれは病気と笑っていた人もいましたから。でも、流儀の若者にはもっと他流を見てほしいですね。

能夫 他流を見ないというのが考えられないよ。若いとき見たこと、教えていただいたことが、今も頭上に輝いていて、僕の指針になっている。北極星みたいにね。ところで『忠度』で桜の立ち木の作り物を出す演出もあるよ。喜多流は出さないけれど、他流ではよく出しているみたい。

明生 桜は『忠度』では全体に象徴的に出てきますからね。喜多流は作り物を出さずに想像してもらうという立場ですが、それなら試行してみては? こう考えると『忠度』もまだまだ見直すところはありますね。他流の演出を拝見して自己に照らす、しかし能は懐が、でか過ぎですね。

能夫 思えば思うほど、研究すればするほどはね返えされるしね。

明生 そこが面白いところですね。 

写真

『道成寺』 シテ 粟谷明生 (撮影 吉越 研)

『忠度』 シテ 粟谷能夫 (撮影 吉越 研)

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