我流29 『小原御幸』

我流『年来稽古条々』(29) ―研究公演以降・その七『小原御幸』について

明生 研究公演の第七回は平成八年(六月二十二日)、能夫さんの『小原御幸』でした。大曲に挑む、ということで、二年間懸けて、各自、能一番ずつ、私が『松風』(平成七年)を勤め、能夫さんが『小原御幸』でした。法皇役は香川靖嗣さんにお願いしました。今回は『小原御幸』を中心に話をしたいと思います。

能夫 平成八年、もう十五年も前になるんだね。

明生 曲を決めたのは二年前でしたから、平成六年のこと、父(粟谷菊生)にどのようにして『小原御幸』を許可してもらおうかと思案して…。きっと、「もっと身体を動かす曲をやった方がいいんじゃないか」と言われるのを予想して、その時は「謡を勉強したいので…」と答えるから、と言われたのを覚えています。

能夫 そうだね。『小原御幸』はほとんどが謡や語りで出来ている能だよ。もともと謡い物として作られたと言われるぐらいですから、シテの動きは極端に少ないね。謡や語りが、いかに説得力をもってできるか、それが課題だったね。人生の辛さも分かってくる、ある年齢を過ぎないとできない曲だ、と言われていたから、余計に早く手がけてみたかったわけね。『小原御幸』は喜多流では外の曲扱いだから、伝書も最後の方に記載されているだろう。

明生 そうですね。『小原御幸』は本人が希望しないとできない曲です。選択の理由はなんですか?

能夫 それはいろいろな先人の『小原御幸』を見て来て、憧れが生まれるじゃない。観世寿夫さんの『大原御幸』とか、父(粟谷新太郎)も友枝喜久夫先生も好きだったし、そういう目標みたいなものがあるよね。いい曲でもあるし、花帽子をつけてみたいとか、楚々たる雰囲気がいいなとか。

明生 最初のシテの謡「山里は物の寂しき事こそ…」は京から離れた大原の山里に寂しく暮らす建礼門院の境地を語り、場面作りをする大事な謡ですね。この謡で忘れられないのは、フラメンコのステージで先代の観世銕之亟先生の、ここの謡が流れてきたことですよ。それがもう透明感というか、寂しさの中にある気品というか、そんな雰囲気をひしひしと感じさせる謡で、あれは絶品でした。

能夫 僕も先代の銕之亟先生の『大原御幸』の後シテの語りを聞いたことがあるが、まさにリアリティだね。喜多流は藁屋にシテ一人が入って、ツレの阿波の内侍と大納言の局はその地謡前に座る演出だけれど、観世流は大きな大屋台にシテとツレの三人が入っているね。喜多流では地謡が謡う「折々に…」のところも、三人の連吟になる。

明生 そういう演出の違いはありますね…。

能夫 話は少しずれるが…。『小原御幸』の舞台は大原寂光

院だけれど、同じ大原にある三千院、あそこの仏像は正座しているんだよ。阿弥陀三尊坐像の脇士ね。普通、仏像というと立っているか胡坐をかいているか、半跏の姿でしょ。それが正座しているの、珍しいよね。正座は何か礼儀正しいというイメージだけれど、日本古来からのものではないといういい方もされてきたが。このお姿で、昔からの座り方であったことが判るよね。あのイメージで、シテもツレも下居するといいじゃないかな…、と思うよ。

明生 なるほど。能夫 後シテの謡も難しいんだな。後の出の橋掛りの一の松で止まって謡う、祈りのところなんかもいいところですが、難しいよ。

明生 「極重悪人無他方便、…一門の人々成等正覚」の祈りですね。短い前場ですぐに中入りとなり、後場は後白河法皇の登場です。シテは山に花摘みに出かけ帰ってくる。法皇が訪ねて来ているなどつゆ知らずに。

能夫 侘び住まいで空しい日々を暮らしながら、ただ先帝・安徳天皇のことばかりを思い静かに読経しているわけですよ。祈ることで救われようとする静かな境地なのにね。

明生 そこに後白河法皇の御幸の知らせが…。

能夫 これで心がざわめくわけだよ。後白河法皇は建礼門院の舅であり、安徳天皇の祖父にあたるけれど、平家を滅ぼすための宣旨を出すぐらいの策士でしょ。

明生 建礼門院は平清盛の娘・徳子ですからね。法皇は最初、平家と姻戚関係を結んで組みしながら、源氏が勢力を伸ばしてくると源氏につくぐらいの人間です。建礼門院としては身内でありながら仇のような複雑な心境ですよね。

能夫 心の中はどろどろしているよね。だから、内侍から法皇の御幸を告げられたときに、シテには躊躇があるんだ。会いたくないってね。でも法皇だから…、力関係からいっても帰すことはできない。

明生 心の動揺をどう謡うかですね。

能夫 そう、そこが難しいよ。謡と立ち居・振舞みたいなもので物語を進めていかなければならないのが『小原御幸』だよ。シカケ・ヒラキといった型で修業してきた人間にとっては、その表現法が使えないわけだから、謡うこと自体を考えなければいけないよね。建礼門院という高位で物静かな人物を八割がた声だけで表現する…。能には、そういう課題の曲が用意されているんだと痛感したよ。

明生 建礼門院にたたみかけるように、六道の有様を語れと言って平家滅亡の有様を語らせ、挙句の果てには安徳天皇が入水して亡くなる最期の有様まで語らせる法皇役、この悪役も中々ぴったりの人っていないですよね。観世銕之亟先生が法皇を父に依頼したことがありましたが、父の法皇も正直完璧かというと…、逆に法皇がピッタリはまり役だね、なんて言われたくないですね。(笑)

能夫 そうだね、ある種サドだからね。これでもかといたぶる感じ。銕之亟先生は黒ミサの世界だと言っておられた。

明生 だからこの法皇役って本当に難しい。悪役に徹し芝居が出来れば出来るほど『小原御幸』という能がしまるような気がします。父が広島で勤めた時に、亡くなった観世栄夫先生がやられましたが、あの時は似合ってると思いました。あ、栄夫先生に失礼かな。(笑)

能夫 すごく強く演じられていたね、覚えているよ。語りたくない女院に、「自分は六道の有様を見たいのだが…、普通は仏や菩薩の位でなければ見られない世界を、おまえは見て来たのだね?」と挑発して、うまく引き出すんだよ。

明生 あそこはぞくぞくする場面ですね。ロンギまではなんとなく静かで流れるように謡ってきたものが、一変する。台本がうまく仕掛けていますね。

能夫 本当に魔女裁判みたいだよ。国母だった人が、自分も平家とともに、安徳天皇とともに入水して果てようとしたのに、黒髪がからまって不本意ながら生き延びてしまう。そういう辛い思いをしている人に、その有様を再現させて語らせるんだから。

明生 残酷ですね。生涯の一番忌まわしい部分を語らなければならない。それも滅亡に追いやった張本人の前で…。

能夫 そう。そこですよ。子どもを失い、一門も全滅し、自分だけ生き残った。その思い。

明生 それはやはり能楽師人生のすべてをかけて謡うしかないですね。

能夫 自分の人生で体験したこと。一番つらいこと。死とどう向き合ってきたかといったこと、すべての集大成になる。だからあまり若くしてはできない曲なわけだよね。

明生 でも、一度やって経験しないとそれもわからない。

能夫 謡い、語るとき、自分の肉体をどうしたらいいのか。同情から始まって、シテという登場人物の心境になったとして、でも表現はこの肉体でしなければならないんだ。それは経験してみないとね。具体的に言うと、たとえば笠をかぶっただけでも自分の声が稽古のときとは違うと感じるでしょ。ましてや花帽子ですよ。結構聞こえないんだよ。

明生 私は俊寛でしか経験がないのですが、息苦しいですよね。なんとなく酸素不足で苦しい感じ…。

能夫 それをかぶって謡う。それはやはり経験してみないとわからない。だから、研究公演で演ってみて、ちゃんと出来たとは言えないが、語りというものの大切さを勉強した、という手応えは充分感じましたね。

明生 経験値を上げるということですよね。私はまだ『小原御幸』のシテは勤めていないですし、ツレも法皇も経験が無いのですが、地謡はたくさん経験して来ました。この研究公演では、後列で父の左隣で謡わせてもらいましたが。これは研究公演だからこそ出来たこと。それ以外は父の地頭の前列で謡ってきたわけで、あ、このように謡うのかと身体に染みこませてきたものを、あの時は後列で謡い、後列の舞台を支える力、責任感を肌で感じました。

能夫 そうなんだ。僕もこのシテを勤めたことで、今度、地謡を謡うときにとてもプラスになったね。

明生 シテの経験を経て地謡を謡うのと、無くて謡うのとでは雲泥の差です。だから、いずれ地頭や副地頭を謡う使命、宿命かな、そういう人は、出来るだけ多くシテを経験しておくべきだと思います。そして、そこで学んだことを生かして、他の人のために謡う、それが普通で、健康的で、そうでなければいけないと思います。能はシテだけ良ければいいという物ではなくて、地謡も、三役も全てがよくなければいけませんからね。

能夫 『小原御幸』は特にマスゲームみたいなもの。みんなの力量が上がって、みんなが揃っていないとできないよ。

明生 本当にそう思います。私もいつかシテを勤めて、この難しい謡と語りに挑戦したいと思います。能夫さんは研究公演以来、『小原御幸』は再演していませんね。

能夫 僕は、それ切り演っていないね。なかなか人手が必要だからね出にくい曲ではあるね。いい曲ですが…。今だから言えるのだが、謡の勉強をするなら『朝長』がいいよ。

明生 『小原御幸』と『朝長』の語りは共通項もあるけれど、質的にちょっと違う感じがしますが。

能夫 『朝長』はまた違う世界での、現場にいたリアリティを語るんだね。『小原御幸』の方がスケールの大きさ、物語の大きさという点では上をいくかな…そんな感じがする。平家滅亡の過程をすべて述べるでしょ。平家物語の最後、わざわざ灌頂巻をつくって、この物語を平家物語の締めくくりにしただけのことはあるわけで…。

明生 平家物語の集約されたものですね。一番辛い部分。愛別離苦、親との別れ、子どもとの別れ、人間の生き死にに関することを物語る。究極のお能のテーマです。そういう辛いものに対してじっと耐えている、そういう人間と拮抗するような謡ができないといけないわけですね。

能夫 そういうことだね。愛別離苦は過去の話ではなく、現代にもあることでしょ。今回の東日本大震災だって、親を亡くした人、子を亡くした人、家や財産、仕事を亡くした人がいて、辛い体験をされている。そういうときに能は何ができるのか、考えさせられた。

明生 自粛、自粛ムードのなかで、お能をやっていていいのかって。お能を見たって腹がふくれるわけではないし、そういう意味では不急不要の最たるものかもしれません。

能夫 でも、じゃあこういう芸能が全くなくなってもいいかというと、そうではないと思うよ。被災しても、日本人って素晴らしいと、外国のメディアが賞讃しているじゃない。略奪はないし、物資が来たときに、我先に奪い合うわけでなく、みんな整然と並んで受け取っている、と…。日本にはそういう文化があるんだよ。儒教や仏教、お能や芸能、文学、そういうものから育まれた精神というものがあると思う。だから、我々が今までやってきたことは、そういう文化を浸透させ、秩序を生んできたと思うな。

明生 直接の腹の足しにはならないけれど、そういうことはありますね。そして能は辛い経験をした人が救われていく話です。特に乱世にはこういう救いの芸能が必要だったのかも。それは現代にも通じると言えますね。

能夫 能は魂を鎮める芸能でもあるからね。つらい運命を引き受ける芸能、そういうものが今こそ必要だよ。そして今、日本中で何ができるかが問われているよね。それに震災で、みんな人との絆の大切さを感じたのではないかな。自分一人で生きています、村社会なんて関係ありません、みたいに開き直る人がいるけれど、でもやはりみんな関わりあって生きているよね。絶海の孤島なら一人で、と言えるかもしれないけれど、日本の国土にいる限り、それはあり得ない。電気一つにしても、自分で作り出しているわけではないし。何でもそうだよ。そういうことを知るよい機会になったと思いますよ。

明生 はい。電気だって、今まで無頓着に使っていましたからね。能のことは考えているつもりですが、電気のこと、原発のこと、何も考えていなかったなあ。自分たちの生活はこれでいいのかな、あらゆることを見直そうというムードになって来ましたね。

能夫 今、電気がないと何もできないけれど、これ高々百年ちょっとの話でしょ。江戸時代は電気なんてなかったのだから。

明生 能楽界もいろいろなことを見直すのにいい時期かもしれません。能も過去にはいろいろ困難な時期がありました。明治時代にはパトロンだった大名がいなくなって経済的に困窮したし、欧化政策で日本の古くからの芸能はスポイルされた。戦中は歌舞音曲はまかりならない、だったし、戦後はマッカーサーが来て、八度ないのは音楽ではないと言われたり…、能は数々の存亡の危機に立たされて来ました。

能夫 そこを先人たちが頑張って乗り切ってくれたわけです。我々もこの困難なときに、みんなで考え、見直していく、ほんとうにいい時期かもしれないね。

明生 興行のやり方、プロデュース力をつけるとか、若い能楽師への教育とか。改めて考える時期ですね。

能夫 子どもたちに日本の芸能、文化を、特に能をもっと知ってもらう努力が必要だね。惜しんではダメなんだよ。

明生 まだまだやることはたくさんありますね。 (つづく)

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 『小原御幸』 シテ 粟谷能夫( 撮影 あびこ喜久三)

『小原御幸』 シテ 粟谷能夫( 撮影 あびこ喜久三)

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