阿吽44 令和になって思うこと 粟谷能夫

二〇一九年は天皇の譲位があり令和に改元されました。新天皇即位記念の御大典奉祝能が厳島神社にて催され、私は「猩々」の能を勤めました。  しかし残念なことに、自然災害の多い年でもあり、大型台風が日本列島を襲い甚大な被害をもたらしました。二酸化炭素の大量排出による地球温暖化が要因と言われております。十代の頃、科学で自然に挑戦するディズニー制作のテレビ番組があり、アメリカ東海岸にミサイルを並べ、迫りくるハリケーンに対して勢力を弱めるための薬剤等を打ち込んで撃退するというものでした。当時は科学の進歩が著しく、もしかしたら可能ではないかと思っておりました。  その頃は四季もはっきりとしており、夏は夕立にて安らぎを覚えました。温度が三十度になっただけで大騒ぎでしたが、現在は三十五度を超えることも多くなり、エアコン無しには過ごせません。今でこそ台風は左回転(反時計回り)ですが、気象衛星登場までは右回転と教わっており、情報の変化の大きさを感じております。  「大般涅槃経」では月が隠れると人は月が沈んだといい、月が現れると月が出たという、けれども月は常にあって出没することがないし、月が満ちるとか月が欠けるというけれども、月は常に満ちており、増すこともなく減ることもない。月はまた全ての上に現れます。町にも、山にも、川にも、池の中にも、葉末の露にも現れる。人がどこへ行こうと、月は常にその人に従う。月そのものに変わりはないが、月を見る人によって月は異なるものだと教えています。物事は見方によって変わって見えるのです。私たちは立地条件や視点をかえて考えなくてはなりません。  世阿弥は「離見の見」という言葉を用いて、主観的に自分を見つめる視線と、自己を客観的に外からとらえる努力が必要だといっております。自分の姿を前後左右上下からよく見なければならないということです。  私事ですが令和元年に古稀を迎えました。長い年月の様であり、又一瞬のことの様にも思われます。振り返ってみますと、偉大な先人たちに導かれ、素晴らしい師匠らにめぐりあい、同じ志の仲間に恵まれ、そして社中や観客の皆様に支えられ、今日まで本当に楽しく能をさせていただき感謝でいっぱいです。まだまだ残り時間がある様なので、心と体と相談しながら前進したいと思っております。しかし身の回りにも危険がいっぱいです。自動車や自転車の暴走から、天災に至るまで、自分なりのハザードマップを更新し続けなくてはと思っています。

『巻絹』 シテ 粟谷能夫(平成31 年3月3日 粟谷能の会) 撮影:吉越 研

『巻絹』 シテ 粟谷能夫(平成31 年3月3日 粟谷能の会) 撮影:吉越 研

Keiichiro KANEKO